大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成4年(オ)1078号 判決

上告人

鈴木嘉雄

右訴訟代理人弁護士

福地絵子

福地明人

被上告人

沼津交通株式会社

右代表者代表取締役

加藤覚郎

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人福地絵子、同福地明人の上告理由について

労働基準法一三四条が、使用者は年次有給休暇を取得した労働者に対して賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならないと規定していることからすれば、使用者が、従業員の出勤率の低下を防止する等の観点から、年次有給休暇の取得を何らかの経済的不利益と結び付ける措置を採ることは、その経営上の合理性を是認できる場合であっても、できるだけ避けるべきであることはいうまでもないが、右の規定は、それ自体としては、使用者の努力義務を定めたものであって、労働者の年次有給休暇の取得を理由とする不利益取扱いの私法上の効果を否定するまでの効力を有するものとは解されない。また、右のような措置は、年次有給休暇を保障した労働基準法三九条の精神に沿わない面を有することは否定できないものではあるが、その効力については、その趣旨、目的、労働者が失う経済的利益の程度、年次有給休暇の取得に対する事実上の抑止力の強弱等諸般の事情を総合して、年次有給休暇を取得する権利の行使を抑制し、ひいては同法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものと認められるものでない限り、公序に反して無効となるとすることはできないと解するのが相当である(最高裁昭和五五年(オ)第六二六号同六〇年七月一六日第三小法廷判決・民集三九巻五号一〇二三頁、最高裁昭和五八年(オ)第一五四二号平成元年一二月一四日第一小法廷判決・民集四三巻一二号一八九五頁参照)。

これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) タクシー会社においては、自動車の実働率を高める必要があることから、乗務員の出勤率が低下するのを防止するため、皆勤手当の制度を採用する企業があり、被上告会社においても、昭和四〇年ころから、乗務員の出勤率を高めるため、ほぼ交番表(月ごとの勤務予定表)どおり出勤した者に対しては、報奨として皆勤手当を支給することとしていた、(2) 被上告会社は、その従業員で組織する沼津交通労働組合との間で締結された昭和六三年度及び平成元年度の労働協約において、交番表に定められた労働日数及び労働時間を勤務した乗務員に対し、昭和六三年度は一か月三一〇〇円、平成元年度は一か月四一〇〇円の皆勤手当を支給することとするが、年次有給休暇を含む欠勤の場合は、欠勤が一日のときは昭和六三年度は一か月一五五〇円、平成元年度は一か月二〇五〇円を右手当から控除し、欠勤が二日以上のときは右手当を支給しないこととした、(3) 上告人は、昭和五〇年七月一六日、被上告会社に乗務員として入社したが、昭和六三年五月、八月、平成元年二月、四月、一〇月における現実の給与支給月額は、二二万円余ないし二五万円余であり、右皆勤手当の額の右現実の給与支給月額に対する割合は、最大でも1.85パーセントにすぎなかった、(4) 上告人は、昭和六二年八月から平成三年二月までの四三か月間に四二日の年次有給休暇を取得し、それ以外の年次有給休暇九日分については上告人の意思に基づきその不行使につき被上告会社が金銭的補償をしている(いわゆる有給休暇の買取り)、というのである。

右の事実関係の下においては、被上告会社は、タクシー業者の経営は運賃収入に依存しているため自動車を効率的に運行させる必要性が大きく、交番表が作成された後に乗務員が年次有給休暇を取得した場合には代替要員の手配が困難となり、自動車の実働率が低下するという事態が生ずることから、このような形で年次有給休暇を取得することを避ける配慮をした乗務員については皆勤手当を支給することとしたものと解されるのであって、右措置は、年次有給休暇の取得を一般的に抑制する趣旨に出たものではないと見るのが相当であり、また、乗務員が年次有給休暇を取得したことにより控除される皆勤手当の額が相対的に大きいものではないことなどからして、この措置が乗務員の年次有給休暇の取得を事実上抑止する力は大きなものではなかったというべきである。

以上によれば、被上告会社における年次有給休暇の取得を理由に皆勤手当を控除する措置は、同法三九条及び一三四条の趣旨からして望ましいものではないとしても、労働者の同法上の年次有給休暇取得の権利の行使を抑制し、ひいては同法が労働者に右権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものとまでは認められないから、公序に反する無効なものとまではいえないというべきである。これと同旨の原審の判断は正当であって、原判決に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中島敏次郎 裁判官藤島昭 裁判官木崎良平 裁判官大西勝也)

上告代理人福地絵子、同福地明人の上告理由

【第一点】原判決には、労働基準法三九条、同一三四条、民法九〇条の解釈を誤った違法がある。

一 原判決は、年次有給休暇(以下年休という)を取得したことにより、賃金の一部である皆勤手当を減額、不支給にする取扱いをすることについて、

「したがって同条(労基法一三四条)施行後は、従前、年次有給休暇を取得したことにより賃金の一部である皆勤手当を減額、不支給にする取扱いとしていた使用者は労使交渉に基づき、可及的速やかに右法条の趣旨に従って取扱いを是正すべき法律上の義務を負うことは当然であるが、同条は、その規定の位置、文言、沿革等に鑑みると従前の通達の趣旨を明文化した訓示規定であると解されるのであり、右規定の趣旨に則った是正が行われるまでの過程において、労使間の協定による従前からの取扱いが過渡的になお継続されている間における皆勤手当の減額不支給は、その程度いかんにかかわらず、労働基準法一三四条が禁ずる不利益取扱いであるとし図るようにしなければならない」

と規定し、同法第一三条は、

「この法律で定める基準に達しない労働条件を定める労働契約は、その部分については無効とする。この場合において無効となった部分はこの法律で定める基準による」

と規定している。

また、昭和二二年第九二回帝国議会における労働基準法案提案理由は、

「新憲法は、その第二七条第二項において“賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める”と規定しております。凡そ契約自由が絶対の原則であると前提すれば、労働条件の規定は団体協約によると個人契約によるとの別なく、労働関係の当事者の自由に委ねるべきでありまして、その関係は、労働組合法と労働関係調整法の規定する方法と範囲内において専ら力の問題として解決されることとなるのでありますが、新憲法は労働条件については、かかる契約自由の原則を修正し、法律が労働条件について一定の基準を設くべきことを義務づけておるのであります。」

と述べている。

つまり、労基法は、労使の契約自由の原則を修正し、人たるに値するための最低の労働条件を定めた法律なのであって、労使交渉の結果だからといって、使用者は、労基法に定める基準以下の労働条件で労働者を使用することは許されないのである。

このことは、右労基法の各条文及び提案理由からみて疑問の余地はない。

原判決は、労基法一三四条施行後は、「労使交渉に基き、可及的速かに右法条の趣旨に従って取扱いを是正すべき法律上の義務を負う」、「皆勤手当を減額、不支給にする取扱いの是正につき、労使間の自主的交渉による解決を期待している」というが、労基法が改正された場合、使用者は、労使交渉をまつまでもなく、労働条件を改正された労基法の水準まで向上させる義務を負うのである。

また、原判決は、皆勤手当の減額、不支給が労基法一三四条が禁ずる不利益取扱いであるとして直ちに民法九〇条により無効であると断ずるのは「労使関係の自主的発展、安定化の見地から妥当ではなく」と判断しているが、労使関係の自主的発展、安定化の要請は、あくまで労基法の定める最低基準の労働条件を満すことが前提であり、労使関係の発展のために労基法の定める最低基準を下回る労働条件を容認するようなことはあってはならないのである。原判決は、労基法が契約自由の原則を修正し、人たるに値する生活を営むための最低基準を定めた法律であることを忘れた判断であり、労基法の解釈を誤ったものである。

二 労基法三九条は、

「休日のほかに毎年一定日数の有給休暇を与えることによって、労働者の側における人間的休息の要求に従い、その心身の疲労を回復させ、また、使用者の側における再生産への労働力の維持培養を目的として法制化されたものである。

そして、右年次有給休暇は、労働者において自由に決しうるものであって、右労働者の年次有給休暇権は労基法三九条一、二項の要件が充足されることにより法律上当然に労働者に発生する権利であって(なお最高裁昭和四八年三月二日判決、民集二七巻二号一九一頁参照)、労働者が年次休暇をとったことにより、いかなる不利益処分や処置を受けるべきものでなく、右は労働者の請求がなくても、使用者においてこれを与えるよう対労働者関係等において義務づけられているというべきであるから、右年次休暇の買上げ、ないしこれを放棄する旨の契約はもとより右休暇の取得を間接的にも抑制する効果を伴う合意は、右労基法の趣旨に反するものというべきである。」(大阪高裁・昭和五八年八月三一日判決、判例時報一一〇五号一四〇頁)

これに対し、原判決は、年休取得を理由とする皆勤手当の減額、不支給について、「その減額の程度、その減額により労働者が年次有給休暇取得を抑制される程度、使用者が従前の取扱い方法を同法条の趣旨に従って是正するために行った努力等を総合的に考慮して、有給休暇の取得を著しく困難にし、これを容認したのでは、有給休暇の制度を設けた趣旨が失われると認められる場合に限り民法九〇条により無効となるものと解するのが相当である。」と判示している。

しかしながら、年休は、前述のとおり人たるに値する生活をするための最低基準として定められた権利であり、前記判例もいうとおり、労働者が請求するまでもなく、労基法三九条の要件を満す労働者については当然発生する権利なのである。

労働者が、この最低基準のしかも法律上当然に付与されている権利を行使することに対し、不利益取扱いを許すということは、年休の右のような権利の性質を否定することにほかならない。

原判決は、年休取得に対する不利益取扱いも有給休暇の取得を著しく困難にしない限り有効だというが、その理由として述べているのは労使関係の自主的発展、安定化の見地のみである。労使関係の発展が労基法上の権利行使抑制の理由にならないことは前述のとおりである。

年休取得を理由とする不利益取扱いが許されないのは、年休権の性質からも当然であり、原判決が程度いかんによっては不利益取扱も許されるとしたことは、労基法三九条の解釈を誤ったものである。

三 原判決は、最高裁判例に違反する。

前記大阪高裁判決の上告審である最高裁平成元年一二月一四日判決も、

「労基法又は労組法上の権利に基づく不就労を稼働率算定の基礎としている点は、労基法又は労組法上の権利を行使したことにより、経済的利益を得られないこととすることによって、権利の行使を抑制し、ひいては、右各法が労働者に各権利を保障した趣旨を実質的に失わせるものというべきであるから、公序に反し無効であるといわなければならない。」

と判示し、労基法上の権利を行使したことを理由に経済的利益を得られなくすることは、権利行使の抑制につながるので無効であるとしている。

原判決は、労基法上の権利行使を理由に皆勤手当の減額、不支給という経済的不利益を容認しており、右最高裁判例に違反している。

四 原判決には労基法一三四条の解釈を誤った違法がある。

労基法は、第二次世界大戦後間もない制定当時から労働条件の国際水準を念頭において制定された。すなわち、労基法案の提案理由は、

「一九一九年以来の国際労働会議で最低基準として採択され、今日ひろくわが国においても理解されている八時間労働制、週休制、年次有給休暇制のごとき基本的な制度を一応の基準として、この法律の最低労働条件を定めたことであります。戦前わが国の労働条件が劣悪なことは、国際的にも顕著なものでありました。敗戦の結果荒廃に帰せるわが国の産業は、その負担力において著しく弱化していることは否めないのでありますが、政府としては、なお日本再建の重要な役割を担当する労働者に対して国際的に是認されている基本的労働条件を保障し、もって労働者の心からなる協力を期待することが、日本の産業復興と国際社会への復帰を促進するゆえんであると信ずるのであります。」

と述べている。

右労基法制定から約四〇年経過し、我国はGNP世界第二位を誇る経済大国となった。しかるに、労働条件の最低基準を定めた労働基準法は、基本的に変っておらず、特に労働時間については国際的水準から大巾にたち遅れてしまった。

一九八六年(昭和六一年)における製造業労働者の年間総労働時間は、日本が二一五〇時間なのに対し、フランスが一六四三時間、西ドイツが一六五五時間、アメリカが一九二四時間、イギリスが一九三八時間であり、先進資本主義国と比べると年間二〇〇〜五〇〇時間も長かったのである。その原因は、欧米諸国の多くが、法定労働時間を週四〇時間以下にしているのに日本は週四八時間であったこと、時間外労働に関する規制が欧米諸国に比べ緩く無制限に近いことのほか、有給休暇の取得日数が欧米の半分以下だったためである。

このような長時間労働により、過労死が社会問題化し、労働者から労働時間短縮を要求する声が高まっていた。

一方、日本の長時間労働は、貿易摩擦の原因ともなり、この解消のためには労働時間短縮が急務であるとするいわゆる新前川レポート(経済審議会建議「構造調整の指針」)が昭和六二年に提出された。新前川レポートは、完全週休二日制を実施、有給休暇二〇日を完全消化により年間総労働時間一八〇〇時間をできるだけ早期に実現することを提言している。

政府は、このような提言を受け、昭和六二年労働時間及び年休に関する労基法改正案を提案したのである。

年休については、年間の最低付与日数を六日から一〇日に引上げるとともに、年休取得を理由とする不利益取扱いを禁止する労基法一三四条を新設したのである。

以上のように労基法一三四条は、労働時間が国際水準から大巾に遅れてしまったことを是正し、労働者に対し、今日の日本の経済的地位にふさわしい労働時間を実現するために規定されたものである。

原判決は、労基法一三四条について、

「同条は、その規定の位置・文言・沿革等に鑑みると従前の通達の趣旨を明文化した訓示規定である。」

と判断している。従前の通達というのは、昭和五三年六月二三日基発第三五五号のことを指しているが、これは、

「精皆勤手当の額の算定に際して、労働基準法三九条に規定する年次有給休暇を取得した日を欠勤として、又は欠勤に準じて取扱うこと(不利益取扱い)は直ちに法違反があるとは認めがたいが、年次有給休暇の取得を抑制する効果をもつものであり、同法三九条の精神に違反する」「上記の不利益取扱いを定める就業規則の規定は年次有給休暇を取得したことによる賃金の減少の程度、年次有給休暇の取得の抑制の程度等のいかんにより、公序良俗に反して民事上無効と解される場合がある」

というものである。

右通達は、年休取得を理由とする不利益取扱いも程度いかんでは許されると解しており、それ自体前記のような労基法の基本的性格を見誤ったものである。

また、原判決は、右通達の趣旨を明文化したものが労基法一三四条であるというが、右通達による行政指導では、年休取得を理由とする不利益取扱がなかなか改まらず、年休取得を抑制し、日本の長時間労働の一因となっているためそれをなくすためにわざわざ規定された条文である。

労基法一三四条も前記通達と同じであるというのであれば、わざわざこのような条文を設ける意味がない。

労基法一三四条は、

「使用者は、第三九条第一項から第三項までの規定による有給休暇を取得した労働者に対して、賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならない」と規定しているのであって、右条文から賃金の減額も程度によっては許されるなどと解釈することは不可能である。

原判決は、労基法一三四条の位置、文言、沿革等に鑑みると従前の通達を明文化した訓示規定であるというが、条文の位置についていえば、労基法三九条の権利を行使することを理由に不利益扱いすることはそもそも労基法の趣旨からいって当然許されないから、あらためて規定するまでもないのであるが、明文がないため不利益扱いが横行したので明文化したからにほかならない。

「しないようにしなければならない」という文言も単なる努力義務ではなく、「不利益取扱いをしないよう」「しなければならない」義務を負うことは明らかである。

沿革については、前述のとおりである。

つまり労基法一三四条は、年休取得を理由とする不利益取扱いを禁止することによって、年休取得率を向上させ、労働時間を短縮することを目的とし、労基法三九条の趣旨からいって当然のことをわざわざ明文をおいて明らかにしたものというべきである。

労基法一三四条について、年休取得を理由とする不利益取扱いも程度によっては許されるとの原判決の判断は、右条文の解釈を誤った違法がある。

【第二点】 原判決は、労働基準法三九条、一三四条、民法九〇条の適用を誤った違法がある。

一 原判決は、前述のような誤った労基法三九条、一三四条の解釈を前提として、

1 沼津交通労働組合と被上告人との平成元年一一月一三日労使合意は、組合員の大方の意思に基くものと認めて妨げない。

2 皆勤手当は、交番表どおり出勤した者に対する報奨の意味で賃金に加算される手当である。

3 減額、不支給となった皆勤手当の金額は、当月の給与支給額との対比でみると、最大でも現実の給与支給額の二パーセント弱に過ぎない。

4 また、上告人の有給休暇取得がとりたてて低率であったと認めることはできないことを理由として、本件皆勤手当の減額、不支給が被控訴人の有給休暇取得を事実上制約する抑制的効果を持っていたとまでは認めることができず、被上告人はその後自主的な労使交渉に基づき、皆勤手当減額、不支給の取扱いを是正しているので、上告人に対する本件皆勤手当不支給は無効とはいえないと結論づけている。

しかし、右判断は、前記各法条の適用を誤ったものである。

二 被告上告人と沼津交通労働組合との労使合意について。

原判決は、右労使合意は、大方の組合員の意思に基くものと判断しているが、原判決の引用する〈書証番号略〉からも明らかなとおり、右合意は、組合員の賃金請求権の一部放棄という組合員個々人に直接不利益をもたらす重要事項であるにもかかわらず、予め組合員の意向を全く聴取することなく、執行部の一存で合意してしまったものである。

労使合意成立後の平成元年一一月二二日と二三日に開かれた明番集会において、執行部の説明に対し、

「労基法が変ったのだから、さかのぼってやれ。執行部は計算ができているのだろうから」

「有給の皆勤手当控除について、一一月二一日からといったが、法律に決ったことをなぜ今迄ほっておくのか、遡って支払わせるべきではないのか」

「法律が変ったら変った時点からやるのが当然だ」

などという反対意見が出されたのに対し、執行部の説明を支持する意見は出されなかった。

この結果に基き、同年一一月二四日に開催された執行委員会では、委員長が、

「有休の件について、全員投票を行い、その結果が遡ってやれということになった場合は、執行部交代を前提とした臨時大会を開催するということで執行委員会としては決定したい。」

と述べ、他の執行委員もこれに賛成した。

しかるに、右全員投票は、結果的に行われなかったのである。従って、組合員のうち何名が執行部の行動を支持し、何名が反対したのかは不明であり、少なくとも一般組合員から表明されていたのは反対意見だったのである。

原判決は、右〈書証番号略〉を根拠に平成元年一一月一三日の労使合意は、組合員は大方の意思に基くものと認めて差支えないと判断しているが、右〈書証番号略〉からみて、右労使合意が組合員の大方の意思に基くなどとは到底いえないことは明らかである。

また、原判決は、現在組合員の中で皆勤手当の減額不支給分につき支払いを求めているのは上告人だけであることを理由に他の組合員は、右労使合意を是認しているように判断している。

しかし、右判断は、労働者が自己の勤務する会社を被告として裁判に訴えることの困難さ、勝訴して得られる経済的利益より費用の方が大きいことが初めからわかっている事件をあえて裁判にすることの困難さを全く理解していない。通常の社会人からみれば全く非常識な判断といわざるをえない。

三 皆勤手当の性格と年休取得を理由とする不支給について。

原判決は、皆勤手当を交番表どおり出勤した者に対する報酬の意味で賃金に加算される手当であると認定し、それを皆勤手当不支給を合法であるとする判断の根拠としている。

しかしながら、皆勤手当が賃金の一部であることも皆勤手当の不支給が労基法一三四条の不利益扱いに当ることも明らかで、その点については当事者間で争わない。皆勤手当に交番表どおり出勤したことに対する報奨という性質があったとしても不利益扱いを是認する根拠とはなりえない。

一方、被上告人の交番表は、〈書証番号略〉、被上告人の平成三年三月一八日付準備書面からも明らかなとおり、二週間で一一七時間、年間で二七九〇時間の実労働を予定しているものである。政府が早期に達成しようとしている年間総労働時間数より実に約一〇〇〇時間、一日八時間労働として一二三日分も多い労働時間である。一九八九年(平成元年)の年間総労働時間二一五九時間(平成三年版労働白書六三頁)に比べても六三一時間も多い実労働時間である。このような常識を超えた長時間労働がタクシー運転手の過労死を多発させているのである。

交番表どおり出勤した者に対する報奨というのは、このような非人間的生活を強制する手段にほかならない。

しかし、上告人は、本訴において皆勤手当そのものを無効だと主張しているわけではない。年休以外の労働者の責に帰すべき欠勤等があった場合に皆勤手当が支給されないことまで問題にするつもりもない。

上告人が問題にしているのは、年休という労基法上の権利を行使したことを理由に皆勤手当をカットすることが許されるか否かである。

右交番表には、年休は組みこまれていないから年休の権利を行使すれば、交番表通りの出勤はできない。皆勤手当を得るためには年休の権利行使をあきらめざるを得ないのである。最低限の労働条件を保障した労基法上の権利行使を理由として皆勤手当のカットを許すということは、そのような不利益扱いによって、交番表通りの労基法の法定労働時間をはるかに超える長時間労働の事実上の強制を容認するにほかならないのである。

また年休を取得しても皆勤手当の支給を受けられる場合と、年休を取得すれば皆勤手当をカットされる場合を比較すれば、後者の方が年休取得の抑制の効果を持つことは明らかである。従って、原判決が皆勤手当について報奨の意味で賃金に加算される手当であることを根拠に年休取得を理由とする皆勤手当カットを容認した判断は明らかな誤りである。

四 皆勤手当減額、不支給の程度について。

原判決は、本訴で上告人が請求する減額、不支給となった皆勤手当の金額は、当月の給与支給額との対比でみると最大でも現実の給与支給額の二パーセント弱にすぎないことを理由に、その減額不支給が上告人の年休取得を抑制する効果を持たないと判断している。

しかし、上告人が年休を取得した場合失うのは皆勤手当だけではない。本人給、能率給、時間外手当、深夜手当、迎車手当が減額されるため原判決別表(五)の通り、年休を一日取ることにより最低四、五一二円、最大九、三八〇円、平均七、七七四円の収入減となるのである。

このうち能率給のみについてみると、原判決も認定するとおり、

「能率給については、一カ月の総営業収額より足切額四〇万六五〇〇円を控除した残額の三五パーセントとされているが、被控訴人は昭和六三年当時、一日当り約二万円の水揚げがあったので、月に二〇日以上稼働した場合には能率給が支給されてきた。」

のである。従って、一ケ月のうち一日だけ年休をとった場合、出勤すれば得られる一日約二万円の三五%に相当する約七、〇〇〇円の能率給を失うのである。これと皆勤手当減額分一、五五〇円ないし二、〇五〇円を加算すると、上告人が一日年休を取得することによって失う賃金は約八、五五〇円から九、〇五〇円となる。

上告人の本人給は、当時日給六、一四七円ないし六、三四七円であるから、一日年休を取得することによって、一日の日給分以上の賃金を失ってしまうのである。

原判決は、能率給について一方で右のように認定しながら他方において、

「被控訴人の右主張金額も休暇を取らずに出勤した日は他と同額以上の水揚げ額を維持できると仮定した想定上の金額でしかない」

と述べている。これは明らかに前記認定と矛盾している。

〈書証番号略〉によれば、上告人の一日当りの水揚げ額は、

昭和六三年五月 金一九、八四四円

同年八月 金二〇、五六六円

平成元年二月 金一八、五四一円

同年四月 金一八、三八〇円

同年一〇月   金二〇、七二三円

であり、最低一八、三八〇円、最高二〇、七二三円、平均一九、六一〇円であり、大きなバラツキはない。

タクシー無線で営業車の所在と乗客の所在を絶えず連絡し、できるだけ空車時間を短くしようとしている営業形態のもとでは、一日当りの水揚げ額は、それほど差がないのである。

年休を取得した日を出勤したと仮定した場合の収入額は、能率給等歩合給の部分も含まれるので厳密に計算することはできないが、一日平均の水揚げ額がほぼ一定している事実を前提にして、その三五%の能率給が得られると推定することは十分合理的である。

このような合理的推論に基く能率給の減額と皆勤手当の減額を加えれば、年休を一日取得することによって一日の日給を大巾に上回る賃金を失うのであり、これは、労基法が有給休暇を保障した意味をなくすものだといっても過言ではない。

しかるに原判決は、年休取得日に出勤したと仮定した場合の得べかりし賃金額について、単に「想定上の金額」であるとして能率給の減額を無視し、「賃金がある程度減少したからといって不当だとはいえない」と結論していることは、明らかな誤りである。

皆勤手当に限ってみても、原判決が皆勤手当の減額、不支給額が当月の給与支給額の二%弱にしかならないとして、皆勤手当の減額、不支給額と月収を比較しているのは不合理である。被上告人会社の月間所定勤務日数は二五日であるから一日分の給与はその四%である。皆勤手当の不支給額二%弱と対比すべきはこの四%であり、一日分の賃金四%と比べれば二%弱という割合は決して低いものではない。

また、上告人の場合、日給は、一九八八年度で六、一四七円、一九八九年度で六、三四七円であり、一日年休をとると皆勤手当がそれぞれ一、五五〇円、二、〇五〇円減額された。これは上告人の日給の25.3%、32.3%に相当する金額であり、決して気にしないですむような金額でも割合でもない。

以上のとおり、被上告人会社の賃金体系のもとでは年休を取得することにより能率給等の歩合給のカットとともに皆勤手当が減額・不支給されることによって、一日につき七、〇〇〇円以上の賃金が失われてしまうのである。皆勤手当のみをとっても日給額と比べ決して少ない金額ではない。

原判決がこのような実態に対し、「本件皆勤手当の減額、不支給が被控訴人の有給休暇取得を事実上制約する抑制的効果を持っていたとまでは認めることができず」労基法三九条、一三四条、民法九〇条に違反しないと判断したことは明らかに右各法条の適用を誤ったものである。

五 年休取得日数について。

日本の年間総労働時間が欧米先進資本主義国に比べ、数百時間も長い原因の一つが、欧米では年休の完全消化が当然であるのに対し、日本ではそれが五〜六割と低いことであるのは衆知の事実である。

労基法一三四条が新設されたのも年休取得を理由とする不利益取扱いを禁止することによって、この年休消化率を上げようとしたためである。

原判決は、上告人が昭和六二年八月から平成三年二月までの四三ケ月間に四二日の年休を取得していることを理由に、上告人の年休取得がとりたてて低率であったと認められないと認定している。

しかし、上告人の場合、年間の年休権は、二〇日であったから、四三ケ月分では71.66日である。これに対し、実際の取得日数は四二日であるから取得率は58.6%である。取得率が六割に満たないにもかかわらず、これを低率であったとは認められないというのであれば、このような現状を改善するために設けられた労基法一三四条を無にするものといわざるをえない。

さらに上告人の場合、上告人の妻が昭和六二年一一月に癌を発病し、平成元年三月一八日に死亡したため、その間の年休取得日数が例年に比べ特に増加したのである。このようなやむにやまれぬ事情がない場合、年休取得率はさらに低下し、平成二年は一年間で三日(一五%)しか年休を取得していない。

被上告人会社の従業員全体についていえば、被上告人の従業員は約一〇〇名で、年休の一年繰りこしが認められているので大半の従業員は年間二〇日の年休権を有している。従って、従業員全体の年休権総日数は約二〇〇〇日である。これに対し、実際に取得されている年休は平成元年で六一二日、平成二年で七八二日であり、いずれも四割に満たない。

上告人の昭和六二年一一月から平成元年四月までの年休取得が前記のような特別事情によるものであることを考慮すれば、被上告人会社の年休取得率は、欧米の常識に比べればもちろん日本の平均取得率も大巾に下回ることは明らかである。

原判決が、上告人の年休取得について、その特別事情にもかかわらず、六割に満たない取得率をもって低率とはいえないとし、この一因となっている皆勤手当の減額不支給を有効と判断したのは明らかに労基法三九条、一三四条、民法九〇条の適用を誤ったものである。

以上のとおり、原判決には労働基準法三九条、同一三四条、民法九〇条の解釈ならびに適用を誤った違法があり、判決に影響を及ぼす法令違反の存することが明白であり、破棄を免れない。

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